SNSと写真表現の狭間。レゾンデートルについて考える。

写真ほど熱中できた趣味は、僕の人生の中でこれまでありませんでした。

見て心が動いたものを誰かに見てもらいたい、共感してほしいという純粋な思いから始まった写真との関係は、時に深い葛藤を生むことになります。

SNSとの出会い

2022年、新しいカメラを手に入れた僕は、Instagramでの写真共有を始めることにしました。

理由はシンプルで、自分の写真を誰かに見てもらいたかったから。

ただそれだけでした。


僕は誰か。

小雨が降るその夜、地面に映るネオンの反射に視線が向きました。

こんなに人がいる中で、自分の世界に浸る。

これまで見過ごしていた日常のそんな風景が、カメラを通して全く新しい表情を見せてくれる。

そんな発見が、写真の持つ魔法のような力を教えてくれました。

この一枚をきっかけに、少しずつ写真が人の目に留まるようになっていきました。れが何であれ⁠、オンラインでスト⁠ーリ⁠ーを伝える方法次第で⁠、結果は大きく変わります⁠。

青に沿って歩く。

海外からの反響が特に大きかった一枚です。
言葉の壁を越えて、写真が人々の心に届くことを実感した瞬間でした。
写真には言葉を超えたコミュニケーション力がある
その気づきは、新しい可能性への扉を開いてくれました。

承認欲求との向き合い方

SNSでの反響は、喜びと同時に新たな不安も生み出していきました。
「いいね」の数が、写真の価値を決めるものではないとわかっていながらも、その数字に一喜一憂する自分がいました。

Ginza Classic

Instagramにて、大手写真HUBアカウントで初めてフィーチャーされた作品です。
嬉しさで胸が躍る一方で、「次も」フィーチャーされたいという欲求も感じ始めていました。この写真は普段は絶対入れないノイズ(粒子感)を無理に作っていました。
本来伝えたかった銀座の路地裏の空気感が薄れてしまったように思います。


Instagramの世界には「HUBアカウント」と呼ばれる特別なアカウントが存在します。
これは特定のテーマの写真を集めて紹介する大きなメディアアカウントで、例えば「Tokyo Night Photography」のような、東京の夜景写真に特化したものがあります。
写真がこういったアカウントで紹介される(フィーチャーされる)ことは、多くのフォトグラファーにとって一つの目標となっています。


模倣から見えてきた課題

自分の目で見た景色と、誰かの真似をした表現の間で揺れ動いていた時期です。
技術的な向上を追求するあまり、本当に撮りたいものが何なのかを見失っていました。

Silent Tokyo

人気スポットや定番構図を避け、あえて裏通りから街の息遣いを切り取ろうとした一枚です。
この時既に、SNSでの評価を意識した撮影に違和感を覚え始めていました。
暗い路地に差し込む光の中に、何か本質的なものを見つけようとしていたのかもしれません。

NeonStory

特別な目的もなく友人と写真を撮りに歩いていた夜に出会った風景です。
計画的な撮影よりも、偶然の出会いの方が心に響くことを教えてくれた一枚。
この写真を境に、自分の感性を信じることの大切さに気づき始めました。

創作の迷宮で

技術は確実に向上し、レタッチの腕も上がり、フォロワー数も増えていく。
しかし、数字の上での成長と、本当の意味での成長は違うものだと気づき始めていました。

Cyber Punk-Ameyoko

その時流行っていたサイバーパンク調の編集を意識した一枚です。
技術的には満足できる仕上がりでしたが、どこか空虚さを感じていました。
他人の評価を意識しすぎて、自分の感性が薄れていく。
そんな違和感との戦いの記録です。

SNSを見るたびに疲弊していく感じがしました。
水平のとれていない歪んだ写真、彩度が高いだけの派手な写真。

そんな写真が自分より認められている。
その嫉妬や焦燥感を持ってしまった自分の気持ちが一番歪んでいた。

自分らしさの再発見

2023年の梅雨頃、写真への情熱が最も揺らいだ時期がありました。
写真が楽しくなくなってしまいました。
自分は認められない。
誰に言われたわけでもないのに、そんな感情が強くなり虚しさを感じて迷うことが増えました。
でも、この迷いこそが、本当の意味での転換点となったのです

MyDay

SNSから少し距離を置き始めてから撮影した一枚です。
技術的な完成度よりも、その瞬間の空気感や猫の表情を大切にしました。
構図も気にせず、ただ自分の意識に残った
この写真の中に、自分らしい表現のヒントを見つけられた気がします。

写真は僕にとって特別な表現手段であり続けると思っています。

ただ、それは誰かのためではなく、まず自分自身の感動、思い出、その時の心情を形にするための手段として。
そして時には、その自分が感じた気持ちを誰かと共有できたら、嬉しいはずです。

カメラを通して見える世界は、新しい発見に満ちています。
その瞬間、その場所でしか感じられない自分の世界を、自分らしい方法で切り取っていきたい。
それが今の僕の、写真との向き合い方です。

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